二月の風は肌を突き刺す程ではないが、
鉛色の空の下に突き出した堤防に阻まれた海はカフェオレ色に渦巻いている。
堤防の先端近くで波を待つサーファー達は、腕に覚えのある猛者に違いなかった。
「今日はやめた方がいいかもしれない。」
「何臆病な事言ってんだよ。せっかく来たんだし、みんなやってるんだから大丈夫だろ。」
経験者であるミツオの賢明な意見を聴く耳は持っていない。
初めて使うサーフボードを抱えて海に入るが、眺めていたよりも波は高い。
崩れた波間に揉まれ、ふと気が付くと堤防が近づい来ていた。
頭をもたげた恐怖心に急き立てられ、必死でこいで逃げる。
おもむろに振り返ってみると、堤防ははるか彼方に遠ざかっていた。
渦に乗っているとも知らず、パドリングの速さに自惚れして、再び波間を漂う。
波打ち際近くで、仲間と再会したとき、水が堤防に向かって流れているのに気が付いた。
「ヒロシ、こっちへ来い。」
その声が聞こえたのか、彼は振り返り、間近に迫った堤防に恐怖を覚えたのだろう。
サーフボードをかなぐり捨て、流れに逆らってクロールを始めたが、
その腕には力は無く流れに押し流される。
このままでは力尽きて溺れてしまう。呆然と立ち尽くしている場合ではない。
「これに捕まれ!」
咄嗟に泳ぎ寄って、自分のボードに彼を捕まらせる。
「板が命やぞ、絶対離すな!」
俺はインシュコードで繋がっている彼の手放したボードを捕まえに行った。
彼の視界には誰も居なくなり恐怖を覚えたのか。
「助けてくれー」と叫んでいた。
これが断末魔の声というヤツだろうか?
その声を聞いた時、彼の叫びが届く様思わず俺も叫んだ。
「助けてくれー」
その声は誰かに届いたのだろうか?
だが、誰にもどうする事もできなかったはずだ。
インシュコードが足に絡まって動けなくのを恐れて彼の足から外そうとしたが、
「何するだー!」
彼の気持ちを尊重してコードを外すのは諦める。
彼のボードに捕まっている俺を見つけた彼は叫んだ。
「それはオラんだー!」
二人で、二枚のボードに命を託して両脇に抱え込んでつかまり、
堤防に沿って流れる水に身を任せるしかなかった。
波に揺られながら、大きな堤防が二人の横を移動していくのを見上げていた。
堤防の先端近くまで流された時、一人のサーファーが声をかけてきた。
「何をしているんだ。」
「初心の者です、助けて下さい」とヒロシ
「どうしたら帰れますか?」俺は尋ねた。
「波に乗れ。」
「板の上に腹ばいになって、手で漕げ。」ヒロシに言った。
サーファーと二人でヒロシを挟んで、タイミング良く入ってきた波に合わせて押し出した。
ヒロシを乗せたボードは波に乗って滑り出した。
「そのまま、戻れよ。」
その言葉は耳には入っていないだろう。
「ありがとうございました。」
日に焼けて精悍な風貌のサーファーに、後光が差していた。
しかし不安げな表情は、俺がまだ助かっていない事を知っていたようだ。
サーファーの姿は見る間に小さくなっていく。
俺は外海の流れに乗ってしまっていた。
行く手にはテトラポットが並んで、波がぶつかり飛沫をあげている。
あそこまで行ったらまずいと感じ、
テトラポットの始まる砂浜の終わりに目標を定めてパドリングをする。
周りには誰も居ない。波が来た。俺の波だ。
やってくるうねりに遅れねない様、パドリングして速度を上げて行く。
テールが持ち上がり板が斜面を駆け降り始めた。
両手でデッキのサイドを掴んで腕を伸ばす。
足を引き寄せて、デッキに踏ん張った。
「カリフォルニアドリーミングだー」
反りが少なめの板の先端は、波のボトムに突き刺さり、放り出された体は海に呑み込まれる。
上も下も分からないぐらい揉みくちゃになる。
しかし、インシュコードで繋がれたツインフィンのボードは飛ばされる事は無い。
水から顔を出し、板を探して捕まえる。
「ヨーシ、もう一回だ。」
3度くらい挑戦しただろうか?
いつの間にか、足が立つ所まで辿り着いていた。
ボードを引きずりながら波打ち際を歩いて岸に上がる。
渦に流されて、最初海に入った元の場所に戻ってきていた。
ヒロシがいた。ミツオも一緒だった。
「助かったぜ。」
「みんな冷たいんなー」
「ああなったら、誰にもどうする事もできんよ。俺は疲れたから、もう上がるわ。」
「オラも」
「僕はもう少しやっていくから、車の鍵渡しとくよ。」
「やっぱり、今日はやめといた方が良かったな。」
サーフボードを小脇に抱え、
生きている事を確かめるかの様に砂浜を踏みしめて、駐車場へと向かった。
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